プラント・ウェルフェア |
![]() ![]() --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #11 --- 最近、店に行っても緑恵さんが居ない事が多くなった。マスターに事情を訊いた。 「先月から、NPOの”プラントウェルフェア・緑の風”という所に通っているんですよ」という返事だった。 聞いた事が無いNPOなので、どんな事をしているのか尋ねたが、マスターも良く分からないと言う。 「今度、緑恵さんに直接聞いてみてはどうでしょう」と提案され、そうする事にした。 数日後の休日、花屋に寄ったら、ちょうど緑恵さんが出かける準備をしている所だった。 「緑の風にお出かけですか」と声をかけたら、「そうです」との答えだったので、 「それって、何をしている所なんです?ちょっと興味があるんですが」と話しかけた。すると緑恵さんは、何か思いついたような表情で僕に言った。 「ちょうどよかった。緑の風の代表から、誰か手伝ってくれる人が居ないかと訊かれていたんです。一緒に行ってみませんか?」 緑恵さんにそう言われて断る理由など何もない。僕は彼女と一緒に、プラントウェルフェア・緑の風へと向かった。 そこは、オフィス街の建物の2階にあって、数人がディスプレイの前に座ってデータを打ち込んでいた。その中に、市役所勤務の彼がいた。彼も僕に気づいたらしく、ちょっと手を休めて、僕の方に手を振った。僕も手を挙げて答えた。 緑恵さんが、奥の机に陣取っている女性の所に僕を連れて行って紹介した。 「加菜さん、お日和はいかがですか。今日は仕事を手伝ってもらえる人を連れてきました」 その女性は立ち上がり、僕の方に近づいて握手した。 「中居加菜です、初めまして。お手伝い頂けるそうで、ありがとうございます」と、僕がここで手伝いをする事はもう既に決まっているような雰囲気で、しかも何だか高度に期待されている感じがして、あわてて返事した。 「あの、すみません、あまり期待されると申し訳ないのですが、休みの時しか動けませんので、そこの所はご承知ください」 「もちろんです」と加菜さんは答え、そして、これで僕がここでボランティアをする事は決定した。緑恵さんにうまく操られた気もしないではないが、でもそれは全く不愉快な事では無い。緑恵さんが僕を信頼してくれていると言う証だし、むしろ緑恵さんと一緒に仕事ができるのはとれも嬉しい。 加菜さんは、「どうぞ、座ってください」と僕に椅子を勧めて、引き出しから1枚の書類を取り出して机の上に広げた。 「お願いしておいて、こんな物を出してくるのは筋違いの様でもあるのですが、ご了承くださいね。ここに集まってくるデータには個人情報がたくさん含まれていますので、ここで見聞きした個人情報は他の人に漏らさないようにと言う誓約書にサインして頂かないといけないんです」 「ああ、そうなんですね。ところで、ここではどんな事をするんですか?」と訊くと、 「あら~、緑恵さん肝心な事を伝えていないんですね。それなら、市役所に勤めている正人君が、そこの所の事情に詳しいから彼に説明してもらいましょう」と言って、窓際の机に座っている彼に手を振ってこちらに来てくれるよう合図した後、僕の方に身を乗り出し、 「正人君とお知り合いの様でしたね、どんなご関係?ライバル?」とささやき、目配せして立ち上がった。そして、やって来た正人君に「ここのプラントウェルフェア・緑の風の成り立ちを説明してあげて」と伝え、立ち去る前にまた僕の方にウィンクした。 それに気づいた市役所の彼が「何かあったの?」と訊くので、「いや、何でもない」と慌てて返事し、気まずさを隠すように彼に説明を促した。 正人君の話によれば、プラントウェルフェア・緑の風の始まりはこうだ・・・ テレビで街路樹の倒木が急に取り上げられるようになってから、住民からの苦情や要望が一気に増えた。ただでさえ人手不足で仕事が滞り気味な市役所に、それらに答える職員をそろえる事は困難だった。そこで、以前から樹木と人の関係に関心を持ち樹木と人の共存を唱えていたNPOに、その仕事を委託する事になった。今まで市役所で担当していた街路樹の管理を、樹木に興味がある市民にまかせるのだ。そして樹木との共存に発展させるべく新たな組織を作り上げる、その目的で出来たのがプラントウェルフェア・緑の風だ。市役所に勤めていた彼は、これまで市役所で作りかけていた街路樹のデータを、このNPOに引き継ぎ、それを更に充実させて発展・展開させるため、いわば出向のような形でこのNPOで働いている。 要は、市民が、街路樹1本1本の(もちろん複数でもよい)オーナーとなって樹木を管理し、その費用は基本的にオーナーになった市民が負担するわけだ。 そんな役所にとっては非常に都合のいいやり方が可能なのか、と思ったが、これが受け入れられたらしい。 正人君は言った。「ペットの動物を飼う人はいっぱいいるでしょ。それと同じ事だよ。しかも、ペットは吠えたり噛みついたり動き回るけど、街路樹はそんな事はしない、ペットよりもずっと扱いやすいと思う人が多いよ。街路樹を受け入れた人たちは、その樹をまるで家族の一員のように大事に育てるんだ。樹の手入れは、自分でする事もあるし、困った時は樹医に相談する。ペットの毛づくろいや餌やりは自分でするけど、病気になったら動物病院に連れて行くよね、同じ感覚だよ」 なるほどね、言われてみればその通りだ。 「プラントウェルフェア・緑の風での仕事はね、街路樹1本1本の詳細なカルテを造る事なんだ、樹木の健康状態を把握して、色々な事態に対処できるようにするためにね。あとは、樹の管理のための道具や肥料の紹介、病気や事故の時に備える保険の案内とかもあるね」 「緑の風では直接それは扱っていないの?」 「ここは、あくまでもNPOだからね。利益追求の営業はしない。ただ、ブームに乗っかって法外な費用を吹っ掛ける悪徳業者も居るから、これを見分けるにはけっこう難しくてね、気を遣うんだよ」 概要はだいたい分かった。しかし、実際にどんな人たちがどんなことをしているのか、今一つイメージが掴めない。そこで、具体的な例を紹介してくれないかと頼んだら、何枚かのカルテを出して見せてくれた。 なお、ここに提示するケースは、個人情報保護の観点から、一部内容を改変している。 ***** カルテ、1 Aさんの場合 Aさんは、緑の風成立以前の段階から、積極的にこの組織の活動に参加していた。組織の立ち上げの際には、かなりの額を資金提供したらしいが、そこの具体的な内容は緑の風には伝えられていない。 ともあれ、Aさんは、プラントウェルフェア・緑の風が成立すると同時に、真っ先に街路樹のオーナーに名乗りを上げた。そして、街の中で一番大きな樹のオーナーになった。 Aさんは、家族と共にその樹を世話した。毎週末には家族の誰かが、あるいは家族全員が樹の根元に集まって、樹の葉音を聞きながら食事をしたり、音楽を聴いたり楽器演奏したりした。子供の入学式や、家族の誕生日には、樹を背景に記念写真を撮った。それはまるでこの街路樹が家族の一員であるかのような扱いだった。 ところが突然に不幸が訪れた。少し風が強かったある晩、この樹は根元から折れて倒れてしまったのだ。外観からは分からなかったが、樹の中心は殆ど空洞になっていて、何時折れても不思議ではない状態だった。Aさんの家族の悲しみは、それは大きかった。樹勢の衰えに気づかなかった自分たちを責めて、何日も泣き明かしたらしい。そして、その樹が生えていた場所で盛大なお葬式を執り行った。 このあたりからの進展はNPOの管轄外になるのだが、今後の検討ケースとしてその後の記録が続いている。 お葬式の後、Aさんの家族は、その街路樹の跡地にお墓を建立した。最初に立てたのは2メートルを超える大きな御影石のお墓だったが、市の墓地条例に違反するという事で撤去させられ、その後には木製の小さなお地蔵さんが置かれた。もちろんAさんの家族がそんなもので満足する訳は無くて、そのお地蔵さんを覆うように雨除けの建物を造り始めた。その建物は徐々に数が増え、飾りを増やして形を変えた。背後には何本ものカラフルな卒塔婆が立てられ、その頂点に繋いだ紐には色とりどりのタルチョがたなびき、地面にはマニ車が何本も回り始め、夜にはLEDのイルミネーションが輝いた。 通行の邪魔になるとか、景色が損なわれる、と言った苦情がちらほら出て来るようになり、それに、そもそも街路樹のオーナーになっても、樹が植えてあった土地はそのオーナーの所有では無いし、市役所が対応を考え始めていた時、大きな転機が起こった。旅行中にこの”樹の墓”を見たアメリカ人旅行客がネットに掲載したところ、それをCool Japanだと反応した海外の旅行者が頻回にここに訪れるようになった。彼らがまたSNSで情報を拡散し、更に多くの人がやって来た。最初は迷惑がっていた街路樹通りの店は、これらの訪問客相手にみやげ物を売って、それなりの収入を得るようになった。倒れた樹の幹で作ったキーホルダーとかペンダントが人気商品だそうだが、はたして本当に元の倒木から作った物かどうかは、分かりはしない。 市の担当者は、景観、苦情対応、観光ツーリズム、消費者法、等々、様々な事象が絡み合ったこの件の対応に苦慮し、当面は静観する事にしているらしい ***** 「このケースはね、2つの問題点を提示してるんだ」 と、正人君は語った。 「1つは、街路樹の健康診断をどうやって進めるかという事」 「緑恵さんの、樹木と話が出来る能力が、役立つね」僕は深く考えもせずにそう言ったのだが、正人君は一度椅子に座りなおし、一呼吸おいてから話しを続けた。 「たしかに、緑恵さんには本当に頑張ってもらってる。でもねえ、街路樹の中にはいろんな性格の樹があってね」 「え、樹にも性格の違いがあるの?」 「そうらしい、緑恵さんの話によるとね。中には自分の具合の悪い所を伝えない樹もあるんだって。あるいは、自分の状態が良く分からないとかね」 「それは、ヒトでもそうだね。健康診断で初めて病気が見つかる事ってあるよな。毎日泥酔してるくせに、酒はちょっとたしなむくらいです、なんて言ったりするのも居るよね」 「外見だけではその樹の状態を完全に把握するのは難しいしね。かといって、何千本もの街路樹を全部、樹医が精密装置で検査すると言うのは、物理的にも経済的にも無理だし」 「それは、困った問題だねえ」 「2つ目は、こんな風にプラント・ロスに苦しむ人をどうやってケアするかという事」 「そういえば、施設に置いてあるパンフレットに、プラント霊園、というのがあったな」 「それも一つの取り組みだね。ただ、ケアの仕方はスタッフの間でもコンセンサスがまだ出来てなくてね。片方では、プラント・ロスに苦しむ人達に近くまで寄り添って、その人たちの気持ちを安らげるように可能な限りの事をしてあげるという意見もあるし、もう一方では、出来るだけ早く悲しみを克服して、それまでの生活に戻れるように、カウンセリングや指導をしてあげるべきだとの考えもある」 「両方とも必要なんじゃないの?」 「その通りなんだけどね、それぞれの家族にはそれぞれの思いや歴史があって、必要な対応は千差万別だろ。それを全部理解して全て答えるのは不可能だ。だから、あるレベルのマニュアルが必要になる。けれど、そのマニュアルにとらわれすぎると、冷たい対応だと非難される。マニュアル造りも大変だけど、それをスムーズに運用できるカウンセラーを育てるのは、もっと大変だよ」 僕は彼らの苦労を想って言葉が出なかった。 「しかも、そんな苦労をしてプラント・ロスに苦しむ人達の気持ちを和らげたと思ったら、マスコミやブロガーと称する者がやって来て、今のお気持ちはいかがですか、とか昔の話を持ち出してインタビューしてさ、またトラウマを掘り起こしたりするのさ」 ![]() 「ところで、マサト君さ。君の苗字は”土佐”って言うんだっけ」 「そうだよ、なんで?」 「いや、なんとなく、さ・・・」 |