プラント・ウェルフェア

カルテ2


by 2025.03.23.



 --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #12 ---

カルテ2
Bさんの場合

 今日は、街路樹のカルテ作成のため野外作業があると言うので、僕も緑恵さんと一緒に出かけた。目的の通りに向かう途中で、少し高齢の女性が、樹に何かをスプレーしているのを見かけて、緑恵さんが近づいた。
 「お日和はいかがですか、Bさん」
 「あら、緑恵さん、ごきげんよう。そちらのお日和はいかが」
 「ありがとうございます、良い日よりです。今日も樹のお手入れですか」
 「そうよ、今日はね、フランス製の特別の樹皮栄養剤を使ってるの。新製品だから、あなたもまだご存じないでしょう。ロセフィン・ファルマシーが作ったとびきりの栄養剤よ。ほら、さわってごらんなさい」
 そう言って緑恵さんを樹のそばに招き寄せた。緑恵さんが樹に手を当てると、Bさんは尋ねた。
 「どう、この樹は喜んでるでしょ」
 「え、ええ。そうですね」と、緑恵さんは、取り繕ったような笑みを浮かべて答えた。
 「もちろん、そうでしょうとも。この栄養剤は簡単には手に入らないんだから」
 一緒について来ていた、市役所の正人君がBさんに訊いた。
 「Bさん、もしよければ、その栄養剤をちょっと見せて頂けますか」
 Bさんは、彼の方を向いた。
 「あら、正人君。あなたも一緒だったのね。丁度良かった、この樹の周りの敷石の件、ちゃんと上の人に言ってくれてる?」
 「はい、もちろん伝えてます。いろいろ手続きが多くて、申し訳ありません、もう少しお待ちください」
 「敷石なんて取っ払ったら良いと私は思うのよね。でも、雨が降ったらぬかるむからって反対する人が居るんでしょ、知ってる。それなら歩道を高床式にして地面から離したら良いじゃないの、那須高原のように。樹の根の周りをこんな風に押し固めてしまうなんて、樹を虐待してるのよ」
 「ええ、おっしゃる通りです。ところで、Bさん、参考のためにこの栄養剤の写真を撮らせてもらって良いですか?」
 「もちろん、構わないわ。他の人にも勧めてあげて。もっとも、値段を知ってためらう人が殆どでしょうけどね」
 正人君が、「ありがとうございました」と言って栄養剤を返すと、Bさんは、大きなバッグから別の袋を取り出した。
 「正人君、これも写真に撮っておきなさいよ」
 そして正人君がそれをスマホで撮影すると、その袋の中身を樹の根元に撒き始めた。
 「これはね、インドの偉いお坊さんが御祈祷をしてくれた貴重な肥料なのよ。これを撒いておけば病気にかからず元気に育つし、事故に合う事もなくなるのよ」
 次にBさんは、バッグから水の入ったボトルを取り出し、その先にジョウロぐちを取り付けて、水を撒いた。
 「それもインドから輸入した物ですか?」正人君が訊いた。
 「水はわざわざインドから輸入したりしないわよ。この水はね、そのインドのお坊さんのお寺のお札を、丸一日浸けておいた物なの。ご利益が沁み込んでるのよ」
 熱心に水まきを続けるBさんに、「ご苦労様です」と声をかけて、僕たちは先に進んだ。
 通りを1つ過ぎたところで、僕は正人君に話しかけた。
 「あのBさんの持ってる栄養剤とか、ちょっと怪しくない?」
 「フランス製とかインド製とかBさんは言ってるけど、製造元は今紛争中のアフリカの某国になってる。ほぼ、まがい物だね。前から、それとなく忠告してあげてるんだけどね、信じ込んでるから周りの意見を聞き入れないんだ」
 「そこは、個人の自由意志、という事か」
 「肥料の中に異物が入っていないか何度か検査はしてる。禁止された除草剤や殺虫剤、PFASとかは検出されなかったけど、これからBさんのようなケースが増えると、検査システムが追い付かなくなる可能性もあるな」
 「街路樹の管理を市民に委託したデメリットが見えて来たという事か」
 「そういう事だね、今後の検討課題だな」
 僕は緑恵さんの方を向いて尋ねた。
 「緑恵さん、あの樹は幸せなんだろうか」
 緑恵さんは、いつものように少し考えてから答えた。
 「樹の性格はそれぞれですが、不幸では無いと思います。Bさんがあの樹のためを思って色々な事をしてくれると言うのは、あの樹には分かっているでしょうし、その色々な事で傷ついたりしていませんから」
 正人君が横から言った。
 「それにね、Bさんのアイデアは一考の価値があるんだ。街路樹回りの敷石をはずして車道の横は帯状の緑地にしてさ、1階は駐車場と倉庫にする。歩道は建物の2階部分に作って歩道橋で接続すれば、人が車の上に位置して太陽の光を受けられる。そんなモデル区画の計画があるんだ。まだ全く企画案だけの段階ではあるけどね」
 「地下街では日の光を浴びる事が出来ないから、という事だね。でもさあ、温暖化がさらに進んだら、地上の暑さに耐えられなくなって地下街に行く人が増えるんじゃない?」
 「うーん、そういうこともあるかあ。でも、街路樹の周りを緑地帯にするというアイデアは良いだろ」
 「そうだね。それには賛成だね」
 「でも、Bさんが、勝手に敷石をはがしてしまうのは困ってるんだけどね」



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