プラント・ウェルフェア |
![]() ![]() --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #13 --- カルテ3 Cさんの場合 正人君が、「今日の検討対象は、これです」と指さした樹には、色とりどりの布が巻かれていた。ヒトの背の高さ位の所から、下に広がる釣鐘型の覆いがあって、それには数種類の布が重なって被さっていた。だが、かなり前に取り付けられた物だろうか、一部は破れて風にあおられていたり、今にもちぎれそうな所もあった。 「このカバーは何なの?」と正人君に尋ねると、 「たぶん、スカートを膨らませる物だとおもう。クリノリンとかいう」との答えだ。 「スカート??」 「この樹にはね、女の子の様に、着物が着せられていたんだ」 「女の子?この樹が?どういうこと?」 「この樹を管理していたCさん夫婦には、小学生の男の子がいた。詳しい状況は知らないんだけれど、その最初の子供が生まれた後、奥さんは子供が出来ない体になったと聞いている。それで、2人とも女の子が欲しくてたまらなかったらしい。そのせいだろうか、この樹のオーナーになったら直ぐに、この樹に女の子の名前を付けて世話をし始めた。そのうちに、樹におしゃれをさせるようになった」 「なるほど、それで、このクリノリン・・だったっけ、それが取り付けてあるわけか」 「そう、見ての通り、普通のスカートじゃなくて、大きく広がるフリフリのドレスだよ。たぶんかなり高価な品じゃないかね。しかも、それを定期的に着せ替えるんだ。それだけじゃなくて、羽飾りのついた帽子をかぶせたり、アクセサリーを付けたりもしていた」 「そんな熱心な夫婦が、今はこんな風になっても放っているのかい?ずいぶん無責任な心変わりだね」 僕は、そのCさん夫婦に腹が立った。 「まあ、もうちょっと事情を話すよ」正人君は続けた。 「ある時、その高価な衣装が切り刻まれる事件が起こった。Cさん夫婦はショックを受けたようだった。でも、気を取り直して、さらに豪華なドレスを着せた。そして、その1週間後、またドレスが切られた」 「なんと、そんな事があったのか。犯人は見つかったのかい?」 「ドレスを着た街路樹と言うのは、結構知られるようになっていたからね、この2回目の切り裂き事件の時には、数社のマスコミや興味を持ったマニアックな人達が、あちこちに監視カメラを取り付けていて、犯人は直ぐに分かった」 「ほう、で、誰だったの?」 「Cさん夫婦の一人息子だった」 「え、それは驚きだね。それは、やっぱり、妹みたいに扱われる樹に嫉妬したせいかね」 僕の言葉の後、正人君はさらに続けた。 「驚いたね。この子も一緒に樹の世話をしていたし、周囲には”この樹は僕の妹です”なんて嬉しそうに話してたそうだからね。夫婦はさらに強いショックを受けた。想像になるけど、子供の教育方針や、樹への対応について、いろんな議論があっただろう。奥さんは事件の後、自分の体について今まで以上に考え込んで苦しんでいた、と言う友達の話も聞いてる。その結果、奥さんは実家に帰ってしまった。子供は今は母親の所に居るけど、旦那さんはその事で家庭裁判所に訴えを起こしているらしい」 「それで、街路樹の世話どころでは無くなったという事か」 「そうなんだ。だけど、このクリノリンを取り外すには管理者の承認が必要だから、手が付けられないんだよ。街路樹の管理を放棄されればこちらで何とか出来るけど、あれ以来、こっちからの通知に全く返事が無いんだ」 「なるほど、管理放棄をどうするか、という問題か。これも今後の検討課題だね」 僕は緑恵さんの方に向き直って、訊いた。 「緑恵さん、この樹はどうなの。ドレスを着せられてどう思ってるんだろうか」 今回は、彼女はあまり長い間考えたりせずに直ぐ返事をくれた。 「ドレスの事は、それほど影響を受けていないと思いますよ。樹木じゃなくてペットの場合は、ヒトと同じように扱われて、自分を人間だと錯覚する物が居るようですけど、樹木はヒトや動物とは時間の流れが違いますからね、この樹は確かに女性化していますけれど、女の子として扱われた事とは関係ないと思います」 「え、女性化って、何?」 「この樹は本来は雌雄の区別はありません。でも、徐々におしべとめしべが変化しているようです。おしべとめしべが同じ個体に出来る植物は、安定した環境では繁殖に有利ですが、環境が大きく変わる時には生き残れない可能性があります。その場合、違う個体の間で交配して出来るだけ多くの変異を確保すれば、どれかが生き残るチャンスが増える、という事になりますよね。これからの地球は、どんどん気温や大気の成分が変わります。それを乗り越えようとして、この樹たちはお互いの遺伝子を交換できるシステムに変えようとしているんですよ。ここに居るこの樹は、おしべを減らしてめしべを残しています。たぶん他では、めしべを退化させておしべを増殖させている樹が居るんじゃないでしょうか。あるいは、おしべとめしべの成熟時期をずらせるとか」 「そういわれてみれば、雌雄異熟、っていうの、聞いた事があるよ」、正人君が説明を加えた。 僕はその話を聞きながら、人間はどうなんだろうと考えていた。 「雄と雌が別になって、あちこちの集団と混ざり合う事でヒトは繁殖して来たけれど、今はそれとは逆に、雄と雌の区別があいまいになって来ている気がする。これはヒトなりの環境変化対策なんだろうか」 「昔からその動きはあったと思うよ。古代文明でも、その文化が発達するにつれて性差を意識しない思考法が現れてるしね。でも、現在のうねりは今までとは違うかもしれないね」 「と、言うと?」 「もうしばらくすると、人の体細胞から卵母細胞と精母細胞が簡単に作れるようになるかも知れない。そうなると、ヒトの生殖行動は今より広がった物になるよ。今のように、ある程度近い年代の相手とか、男と女といいった制約が無くなるんだ。交配のバリエーションは格段に広がる」 「ふーむ。なるほど。それが、ヒトが次の進化をするための1つのプロセスなんだろうか」 「どうだろうね。ヒトが別の種に進化する事ができるかどうか、分からないしね」 ![]() |