望郷念樹 |
![]() ![]() --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #5 --- 公園の周りをジョギングしてたら、緑恵さんが公園の中に居るのに気が付いた。公園の真ん中にある大きなクスノキの根元に立って、バッグから紙袋を取り出し、その中の物を根っこに撒いていた。 近づいて、「緑恵さん、こんにちは。今日のお日よりはいかがです?」と声をかけた。 後ろから声をかけたせいか、緑恵さんはびっくりしたように振り返った。少し涙目になっていた。それでも、直ぐに笑顔をとりもどして、 「ありがとうございます。良いお日よりですね。あなたのお日よりはいかがですか?」と答えた。 僕は「良い日よりです、ありがとう」と挨拶を返し、「何をしてたんですか?」と聞いた。 「このクスノキの、故郷の土をあげていました」と言って、緑恵さんの眼がまた潤んで来た。僕は、話題を変えたほうが良いなと焦りを感じて、目に止まった緑恵さんの足元の大きな紙袋を指さし、 「重そうな袋ですね、これから帰るんですか?持ちますよ」と言って、袋に手をかけた。 実際に重たい袋だった。 「本当に、重いですね。何が入ってるんです?」と聞くと、 「クスノキの子供たちです。結局、また持って帰る事になりました」と彼女は答えた。状況がいまひとつ理解できないが、たぶん歩きながら聞くには、込み入りすぎた事情がありそうだ、と思い、その事は聞かずに他愛ない話をしながら花屋さんまで歩いた。 僕たちが店に入ると、中に居たマスターが「おかえり、そして、いらっしゃい」と迎えてくれた。 緑恵さんは、僕の方に「荷物を持っていただいて、ありがとうございました」とお礼を言った後、マスターに「すみませんが、今日はこれからお休み貰って良いでしょうか」と聞いた。 「大変だったですね。それに長旅疲れたでしょう。良いですよ、今日はゆっくり休んでください」 マスターがそう言うと、緑恵さんはいったん店の奥に入り、僕たちが袋の中からクスノキの苗木を取り出している所に身支度を済ませて出て来て、挨拶して帰った。 緑恵さんを送り出した後、マスターの方に向き直って尋ねた。 「緑恵さんは、公園のクスノキに故郷の土というのを撒いていました。それに、このクスノキの苗。どんな事情があるんです?教えてくださいよ」 「そうですね、あなたとは一緒に仕事をする仲になっていますからねえ。特別秘密にする事でもないし、お話ししましょう。ただし、話は少々長くなりますから、お茶を飲みながらにしましょう」 マスターは店の奥でハーブティーを作り、カップをテーブルの上に並べて話し始めた。多分、実はマスターも誰かに話したかったのだろう思う。 数年前に、市街開発で施設や公園が整備された時、公園の真ん中にクスノキが植えられたのはご存知ですよね。当時の市長さんが、シンボルになるような大きな樹が必要だと主張して、職員に探させて、桜見川上流の尾鳥村に育っていたクスノキを買い取って移し替えたんですよ。移植の作業はかなり大掛かりなものになって、テレビでも放送されましたね。 移植されたクスノキは、まだ樹勢が十分に戻っていないようです。新しい枝が育ってはいるんですが、落葉が多いし、所々に枝枯れも出てます。まさか移植したまま放置されたという事は無いはずですが、最近の急激な温暖化や水不足も悪影響しているんでしょうかね。 そのクスノキに緑恵さんが気が付いて、コンタクトを取るようになったんです。クスノキはもと居た村を懐かしがって帰りたがってる、と緑恵さんが言ってました。でも、いまさら尾鳥村に戻して移植することは出来ません。そこで、2つの事を始めたんです。一つは、時々村へ行って、クスノキが育っていた場所の土を持って来て撒いてあげる事。もう一つは、分身を作って、もと居た村に植えてあげる事。 ここで僕は質問した。「分身を作る、って、どうするんです?」 「挿し木で比較的簡単に増やせるんですけどね、公園の木の枝を切って何かに利用するのは、面倒な決まりがあって難しいんです。でも、緑恵さんがクスノキと話している時に、通りかかった市役所の担当者が興味を持たれましてね、色々な手続きに労を割いていただいて、何本か挿し木の苗を作ることが出来たんです。その職員さんは時々この店にも寄られますよ、快活な好青年です」 最後の言葉を聞いて僕は、またライバルが一人増えたかも、と思った。 マスターの話は続いた。 「尾鳥村の元の地主さんに話をして、クスノキが生えていた場所に苗木を植える相談も出来ていたんですが。先々月、その地主さんが急に亡くなったんです。もうお年でしたからねえ。そこで、山を相続されるご親族の方と改めてお話をしようとしたんですが、3人の息子さんたちは皆、遠くの別の所に住んでおられましてね、山を相続するのか売却するのか未だ話がまとまらず、せっかく苗木は出来たのに、元の場所にクスノキを植えるのは難しそうなんですよ」 「ああ、それで、緑恵さんは苗木を持って帰ったんですか」 「いえいえ、その間にもう一つお話しする事があるんですよ。今度は小学校の先生の話です。尾鳥村に新しく赴任して来たその先生は、村に以前育っていたクスノキの大樹の話を聞いて興味を持たれ、さらに緑恵さんがその分身を元の場所に植えようとしているのを知って、それに賛同されましてね、生徒さん達にその話をしたんだそうです。生徒さん達もそのクスノキの事は知っているわけですから、それなら分身の苗木を校庭の一画に植えようという意見がまとまって、校長先生とも談判して、その計画で話が進んだのです」 「それで、緑恵さんが苗木を持って行った、という事ですか。でも、どうして持って帰ったんです?」 「緑恵さんが戻ってくる前に、先ほど話した小学校の先生から電話があったんですよ。どうやら、校長先生と教育委員会の会長さんが、初めて緑恵さんに会って、つまり彼女の容姿を見て意見を変えてしまったらしいです。電話口の先生もその事に憤慨しておられて、緑恵さんに何と言って謝って良いのか分からないと繰り返しておられました」 それを聞いて、僕も怒りがこみあげて来た。「まだ、そんな偏見を持つ人が居るんですか。信じられない」 「たぶん、緑恵さんは気持ちが落ち込んでいると思いますから、時々店に来て話し相手になってあげてください」というマスターの言葉に、「もちろんです」と僕は力を込めて返答した。 それから1週間後、僕の携帯に花屋のマスターから連絡が来た。 「もしも可能でしたらのお願いですが、明日、緑恵さんを車で尾鳥村まで送っていただくことは出来ますか?」 「もちろんです」即座に返事した。 翌朝6時に、僕たちは花屋の前に集合した。クスノキの挿し木を作る際に尽力したという役場の担当者も来ていて、一緒に村へ行くという。彼が苗木を助手席に乗せようとしたので、僕はそれを止めた。苗木は後部座席だ、そして運搬の間その苗木を見守ってもらうのは、その公務員さんにお願いする。必然的に、緑恵さんが助手席になるというわけ・・のはずだったが、緑恵さんが自分から苗木の横に座ります、と希望したので、隣に座るのは公務員さんになった。けれど確かに話し上手の好青年だ、途中退屈することは無かった。 5時間かけて尾鳥村に着いた。全校生徒が、といっても10数人なのだが、僕たちを迎えてくれた。校庭の端にテントが立てられ、たぶん教育委員会の偉い人が座っているようだった。僕たちが到着すると間もなく、植樹祭が執り行われた。少し大げさな気もするが、状況によっては正式な儀式は必要だ。テントの中に席が用意されていたものの、僕たちは生徒と一緒に木を植える作業を手伝った。 掘った穴の中にたい肥を入れながら、市役所の青年が小学校の先生に聞いた。 「どうやって、校長先生たちを説得したんです?」 「なに、素直な意見を述べただけですよ。あと10年もすれば、この小学校は生徒数が減って廃校になる運命から逃れられない。その後、校舎は朽ちて無くなる。けれど校庭にクスノキが育っていれば、それは何時までもそこにあって、卒業生たちの思い出を受け止める対象になるだろう・・ってね」 僕は、その言葉聞いて、この先生も素晴らしいライバルになるな、と思った。 ![]() 目次へ |