樹眠不足 |
![]() ![]() --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #7 --- 帰宅途中に大通りで緑恵さんの姿をみつけた。例の役場の環境課の青年が緑恵さんと話していた。どうやら2人は少し言い争っている様子だ。 「緑恵さん、君の言いたい事は分かるけど、現実的じゃないよ。夜の街灯を消せ、なんて主張しても誰も賛成してくれないよ」 「街灯だけじゃありません。この通りの街路樹には樹の周りにイルミネーションが取り付けられて、一晩中照らされています」 「そのイルミネーションで、この通りは賑わっているんだよ。若者が街に戻って来て、街が活性化したのはその効果なんだよ」環境課の青年は、さすがに市政の方針を擁護する意見を述べている。でも、緑恵さんも引き下がらなかった。 「この街路樹たちは、とても疲れています、寝る時間が無いんですから。今にも倒れそうな樹もいます」 すると、横で聞いていた男性が緑恵さんに向かって不満そうな口調で語りかけた。 「樹が今にも倒れそうだって?」 「あ、こちら、樹医の森盛さんです」と環境課の青年が紹介し、その森盛さんは続けた。 「夜間照明が樹木に悪影響すると言ってる人も居るけど、証明されてないでしょ。それに、バイパスが出来てから車の排ガスは3分の1以下に減ったはずだよ。以前と比べると木の勢いは良くなっているんじゃないの」 「でも・・・」と言いかけた緑恵さんの言葉を遮るように、樹医さんはさらに語った。 「お嬢さんは、俺たちよりも木の事に詳しいの? 俺たちがこの通りの街路樹をどれだけ世話しているか知ってるの? それだけじゃあない。俺たちは、幹の周りの敷石を減らすようにかけあったり、舗装を吸水性に変えるように陳情したり、本業以外でも随分仕事してると思うぜ」 緑恵さんは樹医さんの勢いに圧倒され、戸惑った表情で立ちすくんでいた。 環境課の青年が、そんな緑恵さんの立場を察して、その場の雰囲気を取り繕うように言った。 「ねえ、緑恵さん。やっぱり今すぐ街路灯やイルミネーションを減らすというのは無理だよ。樹医の立場から森盛さんは、樹の勢いは少し良くなっていると言ってるし、もうしばらく様子を見てみる事にしませんか」 緑恵さんは小さな声で「はい」と答え、心残りな様子で下を向いた。 その1週間後、緑恵さんの心配は的中した。その時、この街の西側を北東にむかって台風が通過した。特別に大型の台風では無かったが、時折突風が吹き、その風で大通りの街路樹が何本も倒れた。車が1台、倒れた樹の下敷きになって屋根がへこんだが、幸い運転手に大きなけがは無く済んだ。しかし人的被害は少なかったものの、大通りは数日間通行止めになった。 そして、さらにその1週間後だった。僕とマスターが店の奥でプロジェクトの案を練り直していたら、環境課の青年が森盛さんを連れて入って来た。そして、森盛さんが緑恵さんに向かってしきりに頭を下げている。 「緑恵さん、先日は失礼な事を言って申し訳ありません。緑恵さんが言ってた事は全くその通りでした。大通りの街路樹が倒れたのは、照明時間が長すぎたせいです、あなたが言ってた通りです」 その話に興味を持った僕とマスターも、立ち上がって近づいて行った。 「倒れた木を調べてみました。幹が弱っていて、それはなぜだろうと考え研究報告をいろいろ検索してみたんです。そうしたら、もう10年位前に、大学院の卒業論文で、照明時間と植物の導管の成長を促すホルモンとの関係を調べた研究がありました。夜間長時間にわたって照明にさらされると導管の形成が抑制されるという報告です。そうなると当然、養分の循環が減って樹勢は落ちます。緑恵さんが言っていた通りの結果を示す論文でした」 「と言う事は、樹木の勢いを戻すためには、夜間照明やイルミネーションを減らす必要があるという事ですね」僕は、横からしゃしゃり出た。 すると環境課の青年が重い表情で話した。 「その通りです。でも、簡単にはいかないでしょうねえ。先月も、市長が経済回復計画と言って、公園や通りの街路樹ライトアップや、街路樹横の建物のプロジェクションマッピング案に許可を出したばかりですからねえ」 そこで僕は、今こそ緑恵さんの思いに協力できる絶好の機会だ、と考え、ここぞとばかりに話し始めた。 「でも、現に街路樹が倒れて事故が起こっているわけですから、今なら、街路樹を守らないと自分たちにも被害が及ぶかもしれないと思う人が多いはずです。このあとさらに事故が増える可能性を訴えれば、イルミネーションを減らす動きにつながるのではないですか。知り合いの放送局の仲間にも相談して、企画を立てる事にましょう。市役所でも、関係者に根回し始めてください。一大キャンペーンを張りましょうよ」 しかし、環境課の青年は、暗い表情のまま、こんな悲観的なコメントを述べた。 「意欲は買いたいんですが、現実はどうでしょう。自分たちの享楽を我慢して樹木の健康を守ろうと考える人がどれだけ居るでしょうか。むしろ、樹が倒れそうなら全部切ってしまえと言われそうな気がします」 皆が暫く黙り込んだ後、緑恵さんが沈黙を破って言った。 「うまく行かないかも知れませんが、でも、やってみましょう。私は夢見ています、この先いつか、人間と植物が互いに助け合って共存する時が来る事を。その小さな一歩になるように願って、私は進んで行こうと思います」緑恵さんの表情は、いつも以上に輝いていた。 ![]() |