育ってくれて |
![]() ![]() --- シリーズ 緑恵さん、お日和はいかが #8 --- 今日は公園の中でいろんな展示が催されていた。緑恵さんを誘って、いろんな会場を回った。奥まった一角に木の苗や鉢植えを販売している所があった。緑恵さんがどう思うか少し不安があったので、別の場所に移動しようと思ったのだが、彼女は、それを見つけて自分からその場所に向かって行った。そして、1本1本の木々や花に手を添えては、しばらくたたずんでいた。「話してるの?」と聞いたら、「いえ、短い時間で全部分かる事は出来ないです」との返事だった。 すだれ掛けのコーナーを回った所に有る物を見つけ、僕の不安はさらに高まった。しかし、緑恵さんは棚に並べられた盆栽に近づいて、同じように1本ずつ足を止めて手を添えた。緑恵さんは、盆栽は気に入らないんじゃないかと思っていた。本来なら大木になるはずの松や梅を、手で囲えるくらいの大きさに縮小して育てる栽培法に、反感を抱くのじゃないかと思っていた。けれども、緑恵さんの表情は変わることなく穏やかだった。恐る恐る尋ねた。 「こんな育て方を、緑恵さんはどう思ってた?」 緑恵さんは、やはり少し考えてから言った。 「この木の望んだ生き方ではないかも知れません。この木たちの気持ちは、もっと聞いてみないといけないです。けれど、育つ事さえできなかった種子の方がはるかに多いんです。育って生きているというのは、素晴らしい事だと私は思います」 緑恵さんは、また盆栽を1本ずつ触って歩いた。 しばらくして、入り口付近で騒ぎが起こった。数人が盆栽コーナーの販売員に怒鳴っていた。 「お前たちは、樹木を虐待しているという自覚が無いのか」 販売員は答えて言った。「虐待なんてとんでもないです。私たちは、盆栽の木を愛情をもって育てているんですよ」 「そういう”愛情”というのはな、ストーカーやカルト教祖の言う愛情と同じなんだよ。独りよがりで相手の苦しみや痛みを全く分かっていない者の言い草なんだよ。今すぐこの盆栽の木を、自由に大きくなるように植え替えろ!」 「そんな無茶を言われましても・・、盆栽は今では外国でも知られる日本の伝統なんですよ」 「薄っぺらな日本かぶれの外国人の話などどうでもよろし。私が言うのは生命の根源にかかわる話だ」・・・ そんな喧騒を横目で見ながら、僕は緑恵さんの手を引いて急いでその場を離れた。怒鳴り声がほぼ聞き取れ無くなる所まで歩いて来て、緑恵さんに話しかけた。 「ずいぶん極端な人達ですね」 彼女はこう答えた。 「あの人たちは純粋で真剣な方々ですよね、そんな人たちの気持ちは尊重したいと思います。木や草の生き方を考えていただいているのだと思います。でも、少しお気の毒な方ではないかと心配もしているんです。たぶん、その方は、この世界で起きている他の不条理な事にも同じように憤慨しておられるでしょう。人間と植物だけの関係に留まらず、人間と昆虫の関係にも心を痛めておられるでしょう。病原体を媒介する蚊を遺伝子操作で減らすというような動きにも反対されるでしょうし、食べ物を増産するために水耕栽培で野菜を育てるのも、たぶん同意されないでしょうね。そして、豊かな人々が、貧しい人々をさらに貪りつくす今の世界には、もっと不満を持っておられると思います。そう言った事が、ご自分の理想と異なる方向に動いていることに憤りを感じておられるでしょう。そして、ご自分がそんな不条理を修正できるだけの力を持っていないと、ご自分を責めておられる気がします。」 緑恵さんは一呼吸おいて続けた。 「でも、自分で出来る事を、出来る範囲で実行されたら良いのではないでしょうか。理想を失うことなく」 僕は、緑恵さんの優しさが分かる、と思う。でもね、緑恵さん、この世の変革は、徐々に進む事よりも、急激な、時には暴力的な変化で起きる事が多いんだよ。人間の悲しい性質なんだろうね。緑恵さんの心では、そんな人間のサガは理解できないのかも知れないな。 だけど、緑恵さんはそれで良いんだよ。そういう風に考えてくれる者が居ると信じられることが、僕には大切なんだ。 ![]() |