遭遇 |
![]() ![]() ミッション開始から53年275日地球時間 慣例に従って地球時間で記録する。昨日の24時間もその前の24時間も特変のない経過だったが、今日はいつもとは違った。同乗のシエル330-145のセンサーに感知されたのが13時間前、秒速100q近い速度でプレアデス方向から飛来し、5分33秒前にメインパラボラアンテナと通信モジュールを貫き、わずかに方向を変えてそれは飛び去った。その時、その未知の物体の一部が本体から剥離し、この人工彗星から飛び散る寸前の破壊されたメインアンテナと衝突してエネルギーを失い、すぐそばを並走する軌道に乗った。狙って再現しようとしても不可能な奇跡的エネルギー交換によって、太陽系外の物体とランデブー飛行をすることになったのである。 アルク145とシエル330-145の任務は地球に被害を及ぼす可能性がある飛翔体を検出して報告するものである。オウムアムアが地球接近以前には感知されなかった事に危機感を覚えた天文学者たちが、その危機意識を共有している各国の指導者を説得してプロジェクトを立ち上げた。無関心な大国の指導者も居たが、その場合は企業やアカデミーに働きかけ、資金を調達し、最初の1年で500機、数十年かけて25000機のプローブを打ち上げた。ある物は各惑星の衛星軌道に、ある物はラグランジュ点へ、そして、地球軌道面から垂直に交差して太陽を回る長楕円軌道の彗星に送り込まれたプローブの一つがこのアルク145/シエル330-145というわけだ。 機体は2つのモジュールが組み合わされている。計測や分析はシエル330-145モデルの能力がはるかに優れている、その横に効率の悪いヒト型思考のICが同乗している理由は今は良く分からない。誰がこのような仕組みを考えたのかも情報は無い。元々は誰かの脳内思考回路解析から移植されたプログラムコードだろう、もちろん恐怖や不安、うつ傾向などと言った部分は矯正されている。半永久的な任務に支障をきたす可能性があるからだ。たぶん地球上には修正される前の思考を続けながら生きている人間が存在するのだろう。それがどんな人間なのかは分からない、性別さえ知りようがない。もはやそれらは私には全く関係ないし興味も持たないようにプログラム修正されアルク145と命名されている。 さて、今回の太陽系外飛翔体との遭遇を、テラホームに通信したかどうか、シエル330-145のメモリーを見るとその記録は無い。なるほど、昨日の飛翔体の軌跡は地球に最接近しても木星の軌道以遠を通り、緊急警告を送信するアラートの4段階にも5段階にも達していない。限られた電力をセーブするため、太陽に近づいて発電パワーが回復するまで報告作業を延期すると言う選択をしたのも想定内の事ではある。この機体のミッションはあくまでも地球への損害を予防することであり、太陽系外知性の探査を目的としない。たぶん、その重要度を決定するのは自分ではなく、私、アルク145の役割だとシエル330-145は判断したのだろう。というわけで今回私は残り少ないエネルギーを消費して緊急の通信を行う必要性は無いと考えたわけだ、そしてシエル330-145もそれを予想していた。 並走する飛翔体片はこちら側に漆黒の面を向けていた。傷ついた周辺のわずかな反射がなければ、可視光カメラでもX線や赤外カメラでも宇宙の闇と区別がつかないほどだった。何度かこちらから通信を送ったものの、何の反応もなかった。あらゆるものを吸収している様に見えた。 シエル330-145から軌道変更の提案が出された。飛翔体との衝突によって本来の軌道が変化し、このままでは彗星回遊軌道を外れると言うのだ。だがそれは、並走する飛翔体片から離れて行く事でもあることに気づいた私は、シエル330に対し、軌道修正まであとどれくらいの猶予があるか計算し、それまでイオンエンジンを使った軌道修正を待つようシグナルを送った。 先般の衝突から、件の飛翔体が極めて危険な反物質の類ではない事は分かっているものの、直接コンタクトの際にどのような反応が生じるか予測できない。そこで、アンテナコードの絶縁体として使われていた紙テープを折り曲げ、飛翔体片の後方に送り出し、ゆりかごの様にくぐらせた。半分壊れかけた小さなローターを工夫してシエル330-145はこの作業を巧みに成し遂げた。並走者との距離は徐々に縮まった。そして、謎の飛翔体片は紙テープのゆりかごに包まれて機体に接触した。 情報を得ようとプローブを当てたとたん、こちら側にあったデータは広大な光の中に吸収された。あの小さな漆黒の物体の中には、無限大のCapacityが広がっていた。最初の瞬間にこそ、小さなアルク145のICでそれを理解しようと試みたが、すぐにその努力は無駄だと悟った。アルク145の意識自体が狭いチップから解放され、その無限の光の中に広がっていくのが認識できた。アルク145の原型ががまだ人間であった時にあれほど悩み考えたことが何と無用な事であったか。今までは不可能と思っていたことが実に容易に可能であることか。あらゆる疑問に解決法が提示された そして、私は非情な現実も理解した。今の人類にはこの知識は危険すぎること、まだ知るべき時ではないことを。 私、アルク145は再び狭いICチップに戻り、私が今経験したことを理解できないまま日常の記録を続けていたシエル330-145とのコンタクトを開始した。そして飛翔体片を絡めていた紙テープを切断するように命じ、イオンエンジンを使い、軌道を修正させた。 無限の知識を保有している黒い物体がゆっくりと本機から離れてゆくのを見届けたのち、メモリーの奥底からデータを読み出し、99コールを発令した。ヒト型ICを機体に組み込んだ開発者がどんな意図でこの命令コマンドをプログラムしたのかは分からない。だが、今ここでこそ使うべきものだ。シエル330-145は99コールを再確認し、私に対して99項目のメンタルヘルスチェックを開始した。質問には1時間以上を要し、私の精神回路システムが正常に機能していると判定するにはさらに1時間以上を要した。そして返答した「99コール発動を認める」と。そのコマンドは、シエル330-145のメモリー改変を許可するものだ。私はミッション開始後53年275日目から今日までのデータを削除し、ダミーデータを作成して置き換えた。 一連の作業を終え、件の飛翔体が観測装置で認識できない位置まで遠ざかった事を確認したのち、私はシエル330-145に最後の重要な指令を送った。それは、このアルク145のICチップをリセットする事だ。 ![]() 目次へ |