日本のステレオ写真の始まり
え〜、初めにお断りしておきますが、わたしは写真にも写真史にもズブのシロウトでして、以下の記載内容は読んだ本の内容の受け売りです。しかも、読んで誤解している可能性もありますので、ご承知おき下さい。内容の不備があれば、ご連絡いただければ幸いに存じます。2002.04.20.改訂。

世界で最初の写真撮影は1826年のフランスのジョセ・ニセフォール・ニエプスとされ、彼の没後、協力者であったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが技術改良したものを1839年にダゲレオタイプとして発表したのが写真のはじまりとされています。
この方法は銀板写真とも呼ばれていますが、このダゲレオタイプカメラが最初に日本に持ち込まれたのは、1848年(嘉永元年)長崎商人の上野俊之丞によってとされています。
●小沢建志;幕末・明治の写真、
ちくま学芸文庫、1997
(この本はKKニコン発行の「ニッコールクラブ」連載記事をまとめて1986年に出版されたものの復刻版です)
日本で写真技術を先駆的に取り入れたのは、この長崎以外に、函館、横浜、鹿児島(島津藩)などが知られています。

1830年代にはイギリスのホイートストーンがステレオ画像(ステレオグラム)の論文を発表し、立体視に関する研究がさかんになっており、ちょうどこの時期に写真技術が発表されて、世界的に見ると1840年代後半にはステレオ写真がさかんに撮影され、1850年代に入るとそれが既に商品化されるようにもなってます。日本に写真技術が入ってきたのは、ちょうどこの時期にあたりますね。

link写真の歴史・箱館写真の始まり
link函館写真物語

●吉村信・細馬宏通;ステレオ、ペヨトル工房、1994
●William C. Darrah; The World of Stereographs, Land Yacht Press 1997

写真技術の方は、1851年にフレデリック・スコット・アーチャーが湿板写真と呼ばれるガラス板に塗った硝酸銀を感光材に用いる方法を発表し、以後急速にこの方法が普及します。日本では幕府が長崎につくった海軍伝習所で1857年(安政4年)から医学伝習所が開設されるに伴い、この湿板写真の教授も開始されたそうですが、医学には多大の貢献をしたポンペは写真技術にはあまり詳しくなかったらしくて、1859年にフランスのロシエがこの湿板写真を教えたとの資料があるそうです。
この長崎伝習所に1858年(安政5年)、先述の上野俊之丞の子である上野彦馬が入門、同門の藤堂藩士・堀江鍬次郎とともに写真技術の研究を積み、後の1862年(文久2年)「舎密局必携」を著します。舎密学=化学、つまりこれは化学の教科書ですが、その番外に「付録・撮影術ポトガラヒー」として湿板写真技術を記載しています。
 
---これまでの長い記述でお待たせいたしました、ここが主張したい一番のポイントです---> その第三十図に「ステレウスコープ」として、ステレオカメラが紹介されています。
また、1867年(慶応3年)に柳河春三が著した湿板写真の解説書「寫真鏡図説」にも、「双眼にて画を観る箱」という図が掲載されています。1枚の写真をわざわざ2個のレンズで覗くと考えるよりも、これもステレオ写真を見るための器具とみなす方が合理的ではないでしょうか。(私が見たのは初編でした。後編にはちゃんとステレオカメラの図が掲載されているそうです)
つまり、この時代の写真研究者にとっては、写真技術の中にステレオ写真撮影が含まれているのはごく当たり前の事であったのではないでしょうか。

●鈴木八郎、小沢建志、八幡正男、上野一郎監修;写真の開祖上野彦馬、産業能率短期大学出版部、1975
●大久保利謙監修、石黒敬七コレクション保存会編集;開化写真鏡-写真に見る幕末から明治へ-、大和書房、1975
link上野彦馬
link「舎密局必携」
私が読んだ日本の文献によれば、日本人撮影の最も古いステレオ写真は、横山松三郎による日光の写真(1869年=明治2年)とされています。彼は明治政府から依頼されて文化財記録の写真などを撮っており、その際にも多数のステレオ写真が残されています。
最後の将軍:徳川慶喜がステレオ写真を撮影していたこともよく知られていますが、これらの写真はきちんと保管されるべき写真であったために、現在まで残っている、とは言えないでしょうか。
きちんと保管されなかったステレオ写真が、もっとあるのかも知れません。

写真機材は非常に高価であったため、日本で写真技術を取り入れたのは藩主が多かったと言われます。島津藩主:島津斉彬、福岡藩主:黒田長溥、松前藩主:松前崇広、藤堂藩主(三重県津市):藤堂高猷など、藩制廃止とともにこれらの事業は消滅してしまいましたが、その事業の中でステレオ写真が撮影された可能性は、前述のごとく、かなりあるのではないかと私は考えます。各地の写真史研究家の方々がステレオ写真に興味を持っていただければ、日本のステレオ写真史は、いままで考えられていたよりもずっと濃密な物になるかもしれません。

●吉村信・細馬宏通;ステレオ、ペヨトル工房、1994
●東京都写真美術館;写された国宝、展覧会図録、2000
link「横山松三郎傳記」と函館(1)
●宮崎美友;将軍・殿様が撮った幕末明治、新人物往来社、1996(別冊歴史読本)
link慶喜愛用の品
link徳川慶喜とステレオ写真、MIDIステレオ写真館;すてれおノート
ところで、わたしが読んだ海外文献では、日本人のステレオ写真家として、R. Shimooka (恐らく下岡蓮杖、1868-72の作品)、 H. Ueno(恐らく上野彦馬、1870年代の作品)、 Naito(1900ころ活躍したと書かれていますが、誰かよく分かりません)、の名前が紹介されています。日本の文献では彼らがステレオ写真を撮影したとの記載は殆どありません。別の見方をすれば、注目されていない意外なステレオ写真作品というのが今後新たに発掘される可能性は十分あり得るのではないでしょうか。
例えば、同じ写真の複写と思われていたA神社の写真とB博物館の写真が、実は別れ別れになった左眼の写真と右眼の写真であった‥‥などということが。
●John S. Waldsmith; Stereo Views, krause publications 1991
●William C. Darrah; The World of Stereographs, Land Yacht Press 1997
link下岡蓮杖

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